評価1だった回答

相談者さんの各回の相談内容は割愛させていただきます。
回答内容からおおよその想像がつくのではないかと思います。

初回の回答

まず、一番直接的な学習面からのアプローチからお話を始めさせていただきます。

 学習面でのアプローチが出来る候補は、学校の先生か家庭教師か保護者の何れかであり、同時に全てだと言えますね。

この中で最も影響を及ぼせるのは、やはり家庭教師さんということになるでしょう。
 同時に、○○○○さんもご夫婦なりにいろいろな働きかけを大いにされてきたとお見受けします。

さて、お話を伺う限り、「全くやる気が湧かない」ということではなく、「どうもやる気になれない」という一般的に子どもたちに最も多い心の状態であることは確かなようですね。

この点に通じる学習生活での事実は、
 「自分が少しでも前進したという実感(よく言われる『達成感』)を経験したことがない」ということに尽きます。

この事実の原因は、受け身のinputの勉強しかしていないか、outputの勉強をうまく引き出す指導がないかの何れかにあります。
この本質は、昔からのことわざ『十遍読むより一遍写せ』そのものなんです。

 時々、何十回・何百回と繰り返しなさいというようなノウハウを唱える方が居られますが、こういう方は「とにかく百回読みなさい」という論のようです。
 上の空も百回繰り返せば覚えると言わんばかりなのですが、こんな時間の無駄遣いはありません。

 「聞く」も同じで、講義を何回聞いても、教科書を何回読んでも胴に染み入ることはありませんが、自分で出力すればたった1度でも相当染み入ります。
これは経験論からも神経科学からも間違いがなく確かなことです。

 特に、仰っておられるように「興味分野も少なく」ということであれば、「得意な科目がない」ということに通じると考えられますから、なおさら、outputの勉強で達成感を味わうことが生命線になってきます。

このようなことをお話するのは、「なにぶん上の空が多く」という○○○○さんの分析が気になったからです。
もし、家庭教師さんの指導時間が、説明を聞いているだけのinput主体の時間であれば、「上の空」であることは、ある意味、当然のことだと言えます。

 教科書を読んだら分かるような講義やお説教じみた講義を聞いていると知らぬ間に寝てしまった。
 意気揚々として新入社員として社会に出たんだけど、最初のオリエンテーションでは欠伸をしてしまった。
○○○○さんもそういうご経験がおありなのではないでしょうか?

でも、あらゆる意味で動きのある講義には引き込まれていく。
 実際の業務について動き始めると知らぬ間に時間が過ぎていく。
あるいは、行動を起こすまではイヤだったのに、やり始めると自分が納得するまで続けてしまうってことがありますよね。

これらの理由は、「やる気」を引き受けている脳の部分は運動野のループの中で機能するものだからです。
そして、inputの勉強は運動野を刺激しませんが、outputの勉強は運動野に信号が伝わるからです。

 小学生~中学生のうちは、独力ではoutputの勉強をなかなかを上手く出来ませんから、指導が大きな役割を果たします。
しかし、学校も塾もたいていはinputの伝授に、それも面白くない方法での伝授に明け暮れていることが多いものです。

この解決としては、
・まず、指導者には子どもさんが実際にoutputする作業を観察しサポートしてもらうということが一つの方法です。
  塾には通っておられないようですから、何度も同じようなinputをされるムダというのはないと思うのですが、
  もし、家庭教師さんが塾と同じように講義型で進めておられるなら、二重になると思われるinputは最小限の
 確認に止めるようにしてもらい実践型にシフトすることをお願いされてみては如何でしょうか?

・inputは学校ですでにしてる筈ですね。
  もし、学校のレベルでは低すぎるから心配だと思われたら、定評のある参考書を使って、指導当日までに
 勉強をさせておき(input作業)、指導時間にはinputした内容を実際にはどのように使うのかという
 実践訓練の場に立ち会ってもらい、極力手を動かすように仕向けるサポートをしてもらうという位置づけで
 指導していただけるように提案されてみて、それで合意に至れば、それがベストの方法です。

・理科や社会なら、一つのテーマを整理してみることで手を動かさせて、「こうだからそうなるんだ!よく理解できたねぇ」
 「じゃぁ、 こういう風にまとめた方が分かりやすくねぇ!」とかのチャチャを入れながらサポートしてもらうことです。

 要するに、本人が手を動かして、やさしいも難しいも自分で実感させることこそが勉強なのであって、
 指導者の口や動きが目立つような指導は指導じゃないってところが基本です。

 的確な指導をされている家庭教師さんがそういう視点で指導されておられれば、一緒に「それでも、何故伸びないのか?」
を一緒に話し合われては如何でしょうか?

そうではなく、的確だけれど親切すぎるinputの指導がされている場合は、言いづらいかもしれませんけれど、
 「親戚の人に聞いたんだけれど・・」的なストーリーで、実践型指導を提案されてみては如何でしょうか?

もちろん、子どもさんをoutput学習に引き出してくる工夫は、保護者さんでもいろいろと働きかけはできることです。

ただ、家庭教師さんとは違って、要らぬ干渉は絶対にせず、問題意識を突いたり助言するだけという姿勢を崩さない決意が必要です。
そして、絶対に子どもと対抗しようなんて意識で臨まず、評価できることを評価してあげることが大切です。
 躾けは厳しさが必要ですが、学習面では評価こそが薬です。

これは、子どもに限らず人間には、知識を脳内に定着させていくときに、「嬉しい」という情動が、より確固により一瞬で知識を定着させてくれるメカニズムがあるからです。
 一般的には、「褒めて育てよ」という言葉で語られますが、その語られ方故、褒めていない普通の時が見過ごされがちで、ごく普通の日常の時間の中で、学習にとっては逆スイッチとなるような情動をおこさせてしまっていることが多いようです。

 子どもを評価してあげるというルールさえ守り切れるなら、考えるゲームがお嫌いということですが、
  「これ、お母さんいくら考えても解かれへんねん。あんた、考えてお母さんに教えてーな。」的な、あるいは、
  「この問題、5分で解けないと小学生やって言われたから、ちょっと競争してくれへん?」みたいな、
  社会や理科なら、お母さんも興味ある口実を作って、一緒に整理を競い合ってお互いに整理具合を評価し合うとか、
  子どもさんにあった切り口でその気にさせる工夫を試行錯誤されてみては如何でしょうか?

・・・続く・・・ 

2回目の回答

家庭教師の先生は、よく観察されて工夫も凝らされているようですね。
プロと呼ばれる先生を選ばれているんでしょうね。

 聞く・書くが半々ぐらいとのことで安心はしましたが、もっともっと本人に働かして
 やる方向で調整されればいいかなという気はします。

output外に出す学習方法は仰る通り、自分で調べる、書く、話す(呟く)などです。

 例えば、○○○○さんが朝のTVで料理番組を見て(授業に相当します)いいなぁと思って、
 夕方にその料理を作ろうと思い立ったとしても、そのレシピを再現する(output学習に相当)
ことはなかなかできないのではないでしょうか?

 勉強も同じで、実際に自分で再現してみて初めて自分の血肉になります。

 講義を聞く、教科書を読むは受け身の行為で、真剣に脳を働かせようという反応が自然には
起きません。
たいていは、気楽さの中で上の空か無視になっているものです。

 聞く、読むはそれが出来ちゃうんですね。
しかし、書く、話すは脳を意識的に動かさないとできないアクションです。
というか、アクションを起こすと脳が働きだすと言った方が正しいでしょう。

 悲しいことに、現在のような環境の下では、「どんなことにも興味を示さない」ことは、
 子どもにとっては、ある意味自然なことになってしまっています。
○○○○さんの歯がゆさは十分すぎるほど分かります。

しかし、それを頭だけで興味をもたせるように仕向けることは至難の業で、とにかく、
 体を反応させることでしか何がしかに対する興味を生じさせることはできません。
それがoutput学習させることの真意であり意義です。

 最近、ようやく『反転学習』とか『反転授業』とかが注目され始めていますが、
 本質は、output学習の重要性にあります。

ただ、「やる気」を起こさせるための学習綿からの一つの大きなアプローチではありますが、
 本来は「やる気」があってこそ、最大限に「やる気」を成果に結び付ける性質のものです。

>「先生が興味を与えてくれようとした話で勉強時間過ぎてくれたらラッキー」感満載
 信頼関係を築くに有用な工夫ををされているようで素晴らしいと思いますが、確かにラッキーで
終わられてしまうのはもったいないですね。

 「では、君はどうなの?」と自分との関連した課題に何とか振れないものでしょうか?

 所謂、人生・生活面からのアプローチになります。

ちょうど、
>既に六年生なので周りには灘など受験するお子さんもハッキリしてきました。
>息子は無駄にプライドが高く「あいつ、そんなにできたっけ?」などと言ってます。

すでに、将来の設計図に関連するようなお話は始められていると思うのですが、
タイミングとして、今最適な時期に来ているのではないでしょうか。

ここは、家庭教師さんとの連携でアプローチされるのが良いかと考えます。

 決して他の子と同じ土俵で比較することなく、
 「○○君は灘へ行って、やっぱり東大へ行くつもりなんだろうか?
その後何になりたいかも決めてるんだろうか?」 
 「では、君は将来どうしようかってもう考えてるの?」
といった聞き出しから始められて、ある程度の目標を設定するようなことは
 されていますか?

 子どもさんの答えや反応によって展開は考えていかねばなりませんけれども、
プライドというものは、多くは勝気・嫉妬・過大評価といった情動が錯綜して
作り出した『見栄』になっている場合が多いものですから、逆に上手く利用したいものです。

 競争心は誰にでもあるものですから、上手くそれをくすぐるのは有効です。
とは言っても、それが難しいから誰もが悩むんですけれど...。

 鉄則は、先に述べてしまいましたが、優位に立つ相手と同じ土俵で争うような
説教的声掛けではなく、先の目標を見通した上での道筋と可能性を一緒に
話し合い示してあげることです。

 逆向きに考えれば、まず、子どもさんから引き出した何となくの進路希望や
目標、あるいは、友達へのライバル意識を軸にして、○○○○さんの希望
されている「京都大学」に結びつけるストーリーを用意しなければなりません。

ここでは、絶対にそれが○○○○さんの願望だと悟られない会話でなくてはいけません。
 無理に結びつけると見てとられて、反って悪い結果を招くかもしれません。

 「○○君は灘を目指せるのに、あんたは・・・」などという会話も厳禁です。
 「いい大学へ行っとけば得だから」というような打算的な言葉も、子どもによっては
反感を持ちます。

あくまで子どもの要求から自然に繋がる目標であることを感じさせ、喜んで納得
させねばなりません。

 「○○君は灘へ行って東大へ行って・・って20歳過ぎまでの道筋ができちゃった
 みたいだけど、あんたは、どうする?まだ考えなくってもいいっか?
あんただったら、その気になったらいつでも切り開いていけるもんね・・・」

なんて投げてみるだけでも、本人は内心焦り出したり、考えなくっちゃと思い出したり
 するものです。
 要らぬかやくをつけた言葉を投げると、それも一気に萎んだりします。

ここのところこそ、家庭教師さんとグルで戦略を練って、家庭教師さんから何回か
根回しの会話をしておいてもらうと、スムーズに親子の会話も生まれて来ると考えます。

そこさえクリアーすれば、「京都大学に行くためには、・・・」を一緒に話し合うの中で
 やるべきことをしっかりと意識し始めますよ。

それと、京都大学に入れるかどうかは、中学3年~高校1年の間に決定づけられることであり、
 小学校の今から決まることではありません。

そのために、環境的にいい中学へということだと思われていることは重々承知しておりますし、
それがベストであることも承知しております。

2番手や3番手であっても、私立中学へ抜けようと計画されているのでしょうか?
 付属はそういう点で難しいところがありますね。

・・・続く・・・

 ブツ切りになりまして申し訳ございません。

2回目の回答

書き洩らさないように、先に一つ書かせていただいておきます。

■自学学習時間の1時間を有効なものにするための環境的な整備の一つの方法として、

5分程度の家族内での係り活動を取決め、これを終えたら感謝の意を子どもに伝え、次に自分の勉強時間に雪崩式に滑り込ませる。
 勉強を終えたら、何がしかの気付きがあったかどうかを報告してもらい、それをもって、何らかの形(何かができる時間etc)でご褒美を与える。

これは、ここまでにお話したように、「やる気」は体性感覚が起点になることに基づきます。
 大人でも、静の状態から動の状態になかなか入れないものです。
 誰でも楽な方へ楽な方へ流れようとしますから...。

ですから、一旦ダラダラした不活性状態に入ってしまうと、そこから嫌なことへ行動をシフトさせることは難しくなります。

 「やる気」は、それが習慣化している人(目標到達への意思が支配している人)を除いては、頭では作れません。
お聞きになったことがあるかもしれませんが、「やる気が出るからやるのではなく、やるからやる気が出る」ということですね。

 「やる」ということは、スタートは勉強に関係することでなくてもよく、とにかく体が活性的であること、どうせなら自分のことは自分でするということや家族のために役に立つことをするということを学ばせる機会として、例えば「自分の洗濯物を畳んで自分のタンスに収納する」とかの類がよろしいかと思います。

それと、会話テクニック的なことになりますが、例えば、「では、自分のための勉強を楽しむ前に、洗濯物のお片付けお願いね!」などと声掛けします。
 何がテクニックなの?と思われるかもしれませんね。

・「勉強を楽しむ前に」という言葉には、まず「勉強する」ことが前提となっているんですね。
  当たり前のような言葉ですが、当たり前が故に意図が感じられず、自然に子どもは終わったら勉強するんだなということが抵抗なく受け入れてしまいます。
  「勉強を楽しむ」という言葉は、自然に言われると、「僕は勉強は面白くないのに、これはおかしなことなんだろうか?」と疑問を誘発します。
  「自分のための勉強」は、誰にやらされるものでもないという開放的なイメージを子どもさんに持たせる言葉にあります。

  即ち、自学学習の前に限らず、子どもさんにやってほしいことがあれば、やることを前提にしてしまうような声掛けをするということですね。

  あるいは、「あなたが、頭がいいことはお母さんがよく知ってるよ!」など、頭がいいことなどのプラス面を前提としている声掛けも心掛けられるといいと思います。

その前段階として、一番有効だと思えるのは、今までのお話から判断すると、
■ライバルを目標として意識する方向へリードしていく
 という方向でしょうね。

もちろん、学習面からのアプローチも常に行っていかねばならないことは言うまでもありませんが・・・。

>結局医者じゃなくても上を目指しているうちに本当になりたい仕事が見つかれば良いなぁと思っています。

 子どもさんも、間違いなく、仰るように周囲の友達が「俺は医者になる」と言うのを聞いてだと思います。

こまっしゃくれたことを言う子が多くなったのは、ほとんど親の影響だと思いますが、その中でお子さんはまだまだ幼いと言えます。
そして、それに追随してしまうのは、やはり競争心のなせる業というところでしょうか。

それも、お母さんが上述のように考えておられるからこその今の状態であり、子どもさんにとっては不必要に追い込まれることのない好ましい状態だと思います。
 今後のお子さんにはプラス要因に転じるしかないことです。


 素直さや謙虚さは勉強する上でも確かに大切な要素ですが、言葉の曖昧さで、素直さや謙虚さは人によってどうにでも都合よく使われるということもあります。
 何でもハイハイと言うのは自主性の欠如でもありますし、謙虚は自身のなさの現れの場合も多いです。

 素直さや謙虚さは、社会人になってからコミュニケーション上では無条件にプラスに作用しますが、頭脳の力という面では決して無条件というわけにはいかないでしょうね。
 持つべき頑固さや主張を持たない方は、いくら勉強ができても社会生活上でもその他大勢にしかなれません。

ですから、保護者も含めて指導者の都合のいい言い訳にしてはならない代表的な言葉でもあると思います。

どの程度の字の汚さかはわかりませんけれど、字の汚さをお子さんは自分でどう思っていらっしゃるんでしょう?
 一応誰にでも読めるのであれば、「恥ずかしい」という気持ちは全くないのかもしれませんね。

 反抗期に入る時期ということもあり、「先生に良い評価がもらえない」とかの理由では本人には逆効果になってしまうことでしょう。
とにかく、「恥ずかしい」ということ、あるいは、「メッチャ損やなぁ」ということを自覚させることがポイントですよね。

そのためには、どうでしょう。
むしろ、勉強に関して利害関係のないスポーツのインストラクターに書いたものを提出する機会を画策して、
 「これ、ちょっと読まれへんでぇ。もうちょっと綺麗に書いてや。」とか言ってもらうようにするとか、
そういった方向性をも考えてみられては如何でしょうかね?

この人の言うことなら聞きそうだ、この人に言われるとショックやという子どもさんの弱点となる人間関係があれば、
そこから攻めるのは有効な手立てでしょうね。

さて、IQは先天的か、後天的かという議論も実は「g因子」と呼ばれる因子は遺伝するようだが、環境が整わなければ発現しないということも多変量解析で一定の結論が出て
 いるそうで、つまりは「遺伝する部分もあり」「後天的な部分もあり」「どちらが優位というわけでもない」という実に理解しやすい結論が出ているそうです。

 要するに、お子さんは持っている知識がお互いに繋がりあっていない状態ということであり、結局は「経験不足」ということを言われているってことです。
 普段使っていないと、どこに収納してあるのか分からないのとよく似ています。

 現代では潜在力のあるほとんどの小学生に言えることだと思っていますし、勉強が好きにならない限り繋がって来ること自体がありません。
ただ、私自身としては小学生でそこまで無理に達成させる必要も感じていません。

ただ、結局は「何とか勉強の面白さを分からせるしかない」というところに帰って来てしまうんです。
これが高校1年生までに達成できれば十分なのだという気持ちだけは親御さんには持っておいていただきたいと思います。

ですが、それまでに、環境の良い高校に合格していた方が圧倒的に有利だという条件があるから保護者さんが焦るのも無理はありません。

・・・整理に続く・・ 

3回目の回答

少しバタバタしており遅くなって申し訳ございません。

 勉強のこと以外では割と素直ということですので、
 問題点は、自分が一番気にしているフィールドで「傷つきたくない」という深層の気持ちにあると感じます。

 自分は出来る筈の人間というプライドは今までのお子様の過ごされてきた環境から刷り込まれているように思われますから、
それがたまたまの結果であっても何かのマイナス方向にずれ込む結果を生じたことをきっかけに、
その事実だけで嫌気がさしたり、自分の力で回復できるかどうかの不安が先だって、怖くて回復をトライするチャンスを拒絶してしまったりしているパターンのように見受けました。

 無意識の中で、「本当はこんなはずではない」という思いがかなりくすぶっておられるのではないでしょうか。
でも、努力してダメだった場合が怖くて、「本当は出来る筈なんだけど俺はやらないんだ」ということで正当化している典型に思えます。

 本当はすごいジレンマなんだけれども、それを感じないように無意識に処理してるんでしょう。
やる気を阻害している犯人は、おそらくこういう所にあると感じます。

プレッシャーを感じさせないようにものすごく慎重に育てられて来たことは痛いほど感じましたが、それでも、子どもさんにとっては
 ご両親の熱い思いを感じ過ぎて来られたように想像されますが如何でしょうか?

 子どもは心の底で親に喜ばれたいと思っているものですから、逆に親が喜ばない可能性のあることには尻込みしてしまいます。
 親の言う通りにしないことは親を喜ばせないことなのですが、言う通りにしてダメだった時の方が子どもには怖いのです。

 学習面において、第三者の家庭教師さんが相当工夫されてもあまり改善が見られないということであれば、「何に対しても頑張ってくれることが私たちには一番うれしいんだよ」という親のキャパシティの広さを子どもに汲み取ってもらうことの方が根本課題のように思われます。

もちろん、学習面からのアプローチは根気よく続けていかねばなりませんので、やはり頼みの綱は第三者の家庭教師さんです。
 私のFAX塾企画時も、教え子nお母さんたちは口を揃えて、「私の言うことは聞かないのに、先生の言われたことはよく守ってますわ」と仰っていました。
この時に、学習面ですらやっぱり対面でないと(現実の信頼関係を築かないと)限界があることを思い知りました。

 一般的には、こと学習面に関しては親よりも第三者の影響力が大きいものです。
 特に、思春期に入ると素直な子でも親に対する反抗の兆候は必ず出ます。

すぐに出来ることではありませんが、一度今までの子どもさんとの向き合い方を、そういった視点から見つめ直されることが大切かと思います。

 私自身は野次馬的にしか知らなく、しかも、テクニックが前面に出過ぎているのであまり好きではないのですが、神経伝達プログラミング、略してNLPによるコーチング本で子育てに関連する書物を一度読んでみられるのも、根本解決に何かの気付きが得られるかもしれないという意味でよいのではないかと思います。

 「傷つきたくない」という守りの心があることは、今後に一番ネックになることですから、何とかその心理を解放させてやりたいものです。
きちんとしたポリシーを持たれている塾では、学習指導とそれ以前の「やる気」指導は完全に分けられているところもあります。
 「やる気がない」のは入塾以前に相談を受け、それでも改善されなければ入塾させないという方式です。

とにかく、現実的に試行錯誤できることと言えば、子どもに何もかも決めさせるようにすること。

 子ども自身に明日の自学学習1時間の課題を設定させて、こなしていく習慣づけを体で覚え込ませていくことが実際的な方法ですが、
 「傷つきたくない」という気持ちが奥底にあると、自分で課題を設定することからしてできないかもしれません。

ですから、お子さんと家庭教師さんとの関係の中で、これを実現するように仕向けていくしかないでしょうね。

4回目の回答

少し間隔が空きましたことお詫び申し上げます。
ここまでのお話を伺いまして、まとめさせていただきます。

 勉強嫌いを作る要因としましては、大きく
 ・学習面(上部構造とお考えください)・・・主に第三者の指導者の力量によって改善
・生活環境面(下部構造とお考えください)・・・主に保護者の姿勢によって改善
に分類されます。

 後ほど列挙しますが、それぞれの要素が複数絡み合って「勉強嫌い」を作ります。

 生活環境面での要因は、いわば下部構造的に、勉強嫌いの奥深い原因としてあるものですから、このネックを取り除いてやることが最も根源的であり効果的です。
とは言っても、必須条件かというと、それも一概には言えません。

 生活環境面でのネックが残されたままでも、学習面でのネックが一つ外されることによって、根深い下部構造の足かせが外されたかのように、一挙に勉強への興味が開花することすらあります。

そこまで行かなくとも何らかのプラス効果は期待できますが、今までのお話から、学習面のネックを取り除くアプローチからは、生活環境面でのネックを帳消しに出来るほどの効果はなかったと見なければなりません。

と言っても、これは、確かに小学校の段階ではなかなか難しいことではありますから、悲観すべきことではないと考えます。

そうなると、生活環境面から「勉強嫌い」に繋がる要素を一つずつでも外していく試みが
必要かと思われます。

お聞きした範囲では、おそらくお子さんは勉強という土俵での勝負を避けようという気持ちが無意識に働いているのではないかと感じられます。
 一度つまずいたことをきっかけに芽生えた自信の無さの裏返しではないでしょうか?

 「僕はダメなのかもしれない」という思いを一度持つと、もし勝負したら「僕はダメだったんだ」と決定づけられるのではないかという不安や恐怖に支配されてしまいがちで尻込みするようになってしまいます。


そこで、「自分の責任ではない」と自己防衛反応的に主張できる「勉強は嫌い」という理由付けをもって、言い訳をするのがおおかたの子どもの心理です。
お子さんも、この例外ではないと感じます。

この状況を突破するには・・・。

ここからは、失礼なことと感じられることもあるかと思いますがご容赦ください。

もちろん、ご両親が子どもさんの将来を願って子どもさんを尊重して向き合われている姿は痛々しいほど伺えましたが、その分、気負い過ぎの感は否めませんでした。

 子どもさんには無言のプレッシャーとなっているような気がしないでもなく、現状を打破するには避けては通れない道ではないかと感じ進言させていただきます。

 先ず、気になる言葉が多く散見されました。

 「毎日うんざりなんです。」「何故こんなに違ってしまったのか?」「育て方失敗」「ため息が出てしまいます。」「こんなにやって成績真ん中か…と言う思いもあります。」「僕も負けないくらいのところに行くんだ!」「ため息が出てしまいます。」

 先ず、こういった思い入れは、口調や態度を通して自然と子どもに伝わるものです。
ですから、会話の端々で、その思いを感じ取り、子どもさんは「やる気」を奪われていってるのかもしれません。

 「僕も負けないくらいのところに行くんだ!」と自分で思えるような本来的に闘争的な子はいいですけれど、そうでなければ、自分の自信の無さと自然に伝わってくる親の要望(価値観)を満たしたいという本来の思いの中にあるギャップの処理に困ってしまいます。

 「勉強ができる」ということは、「どんどん失敗して(outputの勉強でないとできません)その失敗から学ぶ」ということと同義語ですから、失敗することに不安や恐怖を感じている心模様がある状況では、絶対に「勉強嫌い」から脱出することはできません。

 一番大切なことは、「どんどん失敗しなさい。私たちはそれを待っているんです。」ということを子どもさんに伝えることです。

 失敗したら、「何故失敗したのかが分かった?すごいね、分かったなら、それだけで一つ大きくなったね。いっぱい失敗したらきっともっともっと大きくなれるよ。」と評価し、プラス方向に目を向けさせてあげることです。

 極端に言えば、親が心からそういう価値観を持っておられるかどうかです。
あるいは、勉強することは失敗なしにはなし得ないことを知っておられるかどうかです。

 「また失敗したの!」とため息をついていたのでは、子どもも気持ちが沈む一方です。
マイナスの言葉は決して子どもさんに意欲を与えませんし、むしろ、その真逆になります。

もちろん、学習面からのアプローチで目覚め、親御さんの価値観を見直す必要もなく、子どもが勝手に自分で机に向かってくれるようになることはあります。
しかし、小学生の段階ではそこまではなかなか期待できません。

ですから、子どもさんのできていることを評価してあげるところを原点にしなければなりません。
これは、学習指導でも留意しなければならないポイントです。

 「7割もできているのね!では7割5分にするためにどうすればいいかな?」
プラスの方向へ目を向けさせれば、自然に子どもはやる気を出してくるものです。
 私も、ミスしていようが、とにかく教え子が手を動かした結果を評価してやります。

 「それを3割もミスしたのね」と浴びせると、一挙にやる気を失くします。
そういうことです。
 生活面でも全く同じことで、親だからといって無神経であっては子どもは伸びません。

もし、そういう向き合い方をされているのであれば、きっと親の望むラインを基準にプラスマイナスで判断されて、ついつい感情が言葉や態度で出てしまっているのではないでしょうか?

もちろん、子どもの特質はそれぞれ違いますから、こういう向き合い方でも、期待通りに成長してくれる子も居ます。
そして、その「期待通り」も社会人として通用する子から全く通用しない子に分かれます。

こんなことまで申しますのは、ただ単に勉強を嫌いになるだけなら、むしろ小さな問題であり、今後の親子関係や生活に色々な歪みをもたらすことに繋がれば、こちらの方が問題だからという思いがしたからです。

これは、中学に入って各校のトップクラスが入学されてくるとのことをお聞きしましたので、そのことで、逆にますます自信を無くすことも考えられるからです。

これらの意味から、次のお話をさせていただきます。

 広中平祐博士のお母さんは、幼い頃に誰しもが投げかける小さな「何故?」を、決してうるさがることなく一緒に考えようとし、「大きくなって勉強したら分かるようになるんよ」と諭しながらも、知り合いを訪ね歩いて、「私は無学なもので、この子に教えてやってくださいませんか?」と頭を下げられたそうです。

 時代の相違とはいえ、博士は、「如何なることがあっても最悪の事態だけは避ける」という枠だけを設け、その枠内である限り自由放任に育てられたお母さんから、【最悪の事態を避ける】ということと【考えることはそのこと自体に意味と価値がある】ということを学んだと回顧されています。

ここからもはっきり分かるように、子どもを意欲的に勉強に向かわせるために、親としてするべきことは、子どもが自由に跳び出せる精神的空間作りをした上で、第三者の協力を得ながら子ども自らが自分の力で跳び出すようにリードしていく姿勢です。

 【最悪の事態】を基準にすれば、子どもさんを評価するということが自然に出来て来るのではないでしょうか?

 巷では、東大生はほとんどが親から勉強しろと言われたことがないというような記事も書かれていますね。
もちろん、良い格好しているケースもあるでしょうが、概ね間違いはないでしょう。

 私自身も中3卒業時まではとても京大に入れるレベルには程遠い成績で遊んでばかりいましたが、一言も勉強しろと言われたことはありませんし、むしろ母親はほったらかしで、
 京大受験すると言ったら猛反対したほどです。(落ちたら高卒で働くことが条件で承諾)

 学生時代は子ども会をやっていましたので、よくこういった話はしたものですが、親が勉強しろとうるさかった経験を持った学生にはお目にかかったことがありません。

 教え子のお母さんも、ほったらかしのお母さんの子どもほど、間違いなく良いと言われる大学に合格していましたね。(京大・神戸大・ICU等)

また、灘・甲陽に合格した小学校の同級生も、くっきり天と地に分かれていました。
はっきり申しまして、できない子をバカにしていた子は、むしろ惨めな結末に終わり同窓会にも顔を出せないのか(そういう価値観こそが自分を追い込むのでしょう)音信不通。

また、私の中高(一貫校)では、中学入学時から秀才ともてはやされたトップクラスの同級生たちは、軒並みと言っていいぐらい、徐々に徐々に沈んでいくのを目の当たりにしました。

ですから、今から名古屋大学が精いっぱいと思われることにも極めて違和感を覚えます。

 確かに進学される学校によって、可能性というものが違ってくるかもしれませんが、今から中学生の間に、子どもさんに勉強する意欲を持たせることが出来れば、東大だって軽々行けてしまうことを私は確信しています。

それには、最も大切なことは評価して子どもさんをその気にさせること。
 失敗することこそ評価する姿勢を見せてあげること。
そのことに尽きると思います。

これらが理想論だと思われる場合は、自然に子どもの目線でのコミュニケーションが取れませんので、そう言った意味で当初はテクニックに頼らざるを得ないことを想定してNLPの子育てへの応用をご紹介した次第です。

 私が一番気になったのは、中学に入って各校のトップクラスが入学されてきた場合に、申し上げたような失敗を恐れる心が抜けていないままだと、刺激になるよりも、ますます、勉強から逃避する可能性が強くなるのではないかという懸念です。

 最後に、「勉強嫌い」の要因と克服ポイントをまとめておきます。

 生活環境面での「勉強嫌い」の要因は、概ね、

1)親に認められたい心理・親を喜ばせたい心理との葛藤
2)興味・関心が持てない上に強制される勉強
3)他の子と比較される不快 
4)生活不活性による惰性

これらを克服する要素は、親の子どもへの向き合い方であり、

1)親に認められたい心理・親を喜ばせたい心理をプラス作用させる必須条件
 失敗することを大いに歓迎する姿勢
マイナス要素をプラスの言葉で換言する姿勢
2)興味・関心が持てない上に強制される勉強
 自主的に勉強するように導くコミュニケーション技術(価値観の基準見直し)
 勉強はすぐにできるようにはなりません:結果をじっくり待てる腹くくり
3)他の子と比較される
比較する無意味さを親自身が心から理解するように自己変革すること
「○○君は・・・なのに」は厳禁:子どもの自尊心を傷つけない働きかけ
4)生活不活性
 静から動へのメリハリをつけた生活をリードしてあげる

学習面での「勉強嫌い」の要因は、概ね、

1)興味が湧かない・関心が持てない
2)一度つまずいたことをきっかけにマイナス思考になり連鎖してしまう
3)一生懸命勉強しても成果に現れない
4)勉強が何の役に立つのかが分からない

 これらを克服する要素は、指導者の子どもへの指導の仕方であり、

1)興味が湧かない・関心が持てない
 具体的な分かりやすい説明か?
 考える楽しさ、整理する楽しさを伝えることができているか?
2)一度つまずいたことをきっかけにマイナス思考になり連鎖してしまう
 出来ていることを評価することから始めているか?
 「つまずき」原因のピンポイントを突いているか?
 具体的な分かりやすい説明か?
 子どもさんの特性に合わせた指導法か?
3)一生懸命勉強しても成果に現れない
 的外れな勉強の仕方の結果であることを諭したか?
 出力する勉強の仕方へ移行させたか?
4)勉強が何の役に立つのかが分からない
 基本的に子どもの言い訳であると指導者が捉えているか?
 行動に導くことで勉強への興味を引き出そうとしているか?

ご不快に思われたかもしれませんが、一度、熟考されていただければ幸いです。

5回目の回答

前回のメッセージをもって、ほぼ書き尽くしたと考えますので「正式な回答」とさせていただきます。
本回答ののち3日間はショートメッセージを送ることができます。
(ただし、評価を入力すると完全に終了します)。
何か確認したい点がございましたらそれまでにご連絡ください。

最後に、評価コメントを書いていただけると大変励みになりますので、ぜひよろしくお願いします。
またの機会がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

6回目の回答

お母さんは何も悪いということではないですよ。
 子どものことを思っての数々の言葉がけを行ってこられたことは
 よ~く分かります。

ただ、その表現が子どもにとってどうだったのかという点において、
 何らかの影響は及ぼしていると思います。

 子どもの性格も千差万別ですから、対子どもにぴったりフィットした働きかけ
 をされた場合は、結果として子育てが良かったという評価になっているだけです。

ただ、共通項として、特にこの時期は自分に価値があるということで自分に自信
を持ってもらうことが何より大切な時期だという点があることは確かです。

この視点で振り返って今後に活かすことこそが大切なのではないでしょうか?

そういう意味で、NLPは何らかのきっかけになると思いましたのでご紹介しました。

 子どもさんを認めてあげる態度だったか?
 子どもさんを不安にさせるような態度はなかったか?
 子どもさんがたとえわずかでも頑張ったことを賞賛してあげたかどうか?
 子どもさんの自主性を奪うようなお節介はなかったかどうか?
 子どもさんを信じていない態度を見せたことはないかどうか?

>東大生は小、中学生の間は勉強に躓いた事がないから親は何も言わなくていいのでは?
>と常々思っていたのですが違いますでしょうか。

もちろん、そういうケースもありますがこれも千差万別だと思います。
 躓いてもどうってことないということが分かっているから勉強したというケース
 の方が多数だと思います。

 私の経験上も東大出身の方のお話からも、親が目に見えるほど口出ししていたケースは
 かなり少数派ではないかと類推されます。

こういった子は目標を達成した後もかなり萎縮した感じが抜けません。

 私の高校で級長もよく務めていた同級生が(あまり話したこともなかった)おりました。
 彼は数少ない中学時代から成績優秀組で京都大学法学部に合格したのですが、ある日下宿に警察から電話がありまして、わけも分からず行くと、彼が本屋で万引きをし、君に身元引受人
になってほしいと言っているとのことでした。

 何故僕なのかとは思いましたが、無碍にに断る理由もなく引受人になったのですが、
このことは誰にも言わないでくれとさんざん頼まれました。
もちろん、そんなこと他言するはずもありませんが、何か萎縮して暗いんですね。
かなり教育ママだったことは評判でした。

>全くわからない!と言う単元がありましても親はほっておくべきなのでしょうか?
>これは息子を育ててつくづく思っていた事柄です。

 放っておくのも一つの手ですが、ネグレクト放置では子どもがかわいそうです。
 親に教えられるのも嫌だということになれば、家庭教師を雇っておられるのですから、
これこそ家庭教師の仕事で、親はそれを見守るしかありません。

 今、本当に必要なのは、この人に言われたら素直に聞けるといった第三者だと思います。
あるいは書物です。

ですから、依頼しておられ、その結果として何の改善も見られないのであれば、
 申し訳ないですが家庭教師の力量不足としか申し上げようがないです。

・お子さん自身の臆病さ
 ・躓いたらいけないという雰囲気を両親から感じ取っている

 どちらが真の原因か、それとも他に原因があるのかは定かではありませんが、
 学校の教師も含めて、それを挽回させるような第三者に巡り合わないことが最もネック
 だと感じられます。


 全体的なお話を通しては、
 「もっともっと失敗していいんだよ。
 皆をアッと言わせるような人に君はなるんだから、むしろ失敗しなくちゃ!」
ということを家庭教師さんは教えなければいけないのに、と強く感じるのが結論です。

 少なくとも親御さんは、それを心で伝えなければならないと思います。

ページの先頭へ